1990年〜

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エンジン開発履歴』 スーパーバイクレースに向けての量産E/Gを設計し、そのままレースチームに入る。
ロードレース ”TT−F1”クラスとは。(ウィキペディアから抜粋)
  4st750cc以下または2ストローク500cc以下の公道用市販車をベースにレース参戦用に改造を施した車両によって競われるクラス。 1984年から1993年まで開催された。市販車のクランクケースを使用していれば、改造範囲としてフレーム交換やサスペンションの構造変更も可能であったことから、ほぼGP500同様のプロトタイプマシンが生み出され各メーカーのワークス・チームがしのぎを削り、開発費の高騰を招いた。 1988年からはスーパーバイク仕様でのエントリーも可能であった。
ロードレース ”スーパーバイク”(S・B)クラスとは。(ウィキペディアから抜粋)
  4stの公道用市販車をベースにレース参戦用に改造を施した車両によって競われるスーパーバイク世界選手権に準拠したクラス。4気筒の場合は600cc超750cc以下、3気筒では600cc超900cc以下、2気筒では750cc超1000cc以下というように、気筒数によって排気量制限が変わる点がJSB1000と同様である。 気筒数により最低重量も異なった。 1994年から2002年まで最高峰カテゴリーとして開催された。
 
大スポンサーだった ”シンエツ化学工業”
  化学工業品では大企業である ”信越化学工業”は一般的には知名度が低く、
優秀な社員を取りたくても ”シンエツ”って何? の状態らしかった。
そこで若者に大人気だったスズカ8耐にスポンサー参戦して知名度を一気に
上げる企業方針になったらしい。
残念ながら ”シンエツ”がスポンサーの間にスズカ8耐優勝には成らなかった。意外と過去の記録、写真が残っていなかった。
  30年以上が経過して、過去の仕事をまとめ様と思っても意外と資料が残っていなくて薄れた記憶だけが頼りになる。
開発コード:133
SB750ccエンジン開発


GP500 GP250 GP125 TT-F1 TT-F3
1984年 平忠彦(ヤマハ) 小林大(ホンダ) 栗谷二郎(ホンダ) 八代俊二(モリワキ) 江崎正(ヤマハ)
1985年 平忠彦(ヤマハ) 小林大(ホンダ) 畝本久(ホンダ) 辻本聡(ヨシムラ) 山本陽一(ホンダ)
1986年 木下恵司(ホンダ) 片山信二(ヤマハ) 吉田健一(ホンダ) 辻本聡(ヨシムラ) 山本陽一(ホンダ)
1987年 藤原儀彦(ヤマハ) 清水雅広(ホンダ) 畝本久(ホンダ) 大島行弥(ヨシムラ) 田口益充(ホンダ)
1988年 藤原儀彦(ヤマハ) 本間利彦(ヤマハ) 廣瀬政幸(ホンダ) 宮崎祥司(ホンダ) 塩森俊修(ヤマハ)
1989年 藤原儀彦(ヤマハ) 岡田忠之(ホンダ) 山崎冬樹(ホンダ) ダグ・ポーレン(ヨシムラ) ダグ・ポーレン(ヨシムラ)
1990年 伊藤真一(ホンダ) 岡田忠之(ホンダ) 坂田和人(ホンダ) 岩橋健一郎(ホンダ) 鶴田竜二(カワサキ)
1991年 ピーター・ゴダード(ヤマハ) 岡田忠之(ホンダ) 小野真央(ホンダ) 宮崎祥司(ホンダ) 高橋勝義(ヤマハ)
1992年 ダリル・ビーティー(ホンダ) 原田哲也(ヤマハ) 斉藤明(ホンダ) 塚本昭一(カワサキ)  
1993年 阿部典史(ホンダ) 宇川徹(ホンダ) 加藤義昌(ヤマハ) 北川圭一(カワサキ)  
TT−F1、SBクラス用ファクトリー車を開発する。
 
量産車をベースとするTT−F1、SB(スーパーバイク)クラスの車両をレベルアップさせる為にをZXR750Rを先行開発し販売に持ち込めた。 平行してZXR750Rをベース車とした
ファクトリーレーサーを開発し、TT‐F1、SBの全日本選手権ロードレースに参戦し、スズカ8耐の優勝に繋げて行く。
1992年には ”塚本昭一”ライダーが年間チャンピオンに!、翌年の1993年には ”北川圭一”が年間チャンピオンに輝く。 2人のライダーにより日本のサーキット全てのコースレコードを更新してしまいカワサキの黄金期を向かえる。 1993年にはカワサキ悲願のスズカ8時間耐久レースで勝利する。
スズカ8耐の優勝に向けて。
  TT−F1クラスではH車が圧倒的に早かったが、SBクラスではその力を失っていた。
私感であるが、レース後の車検ではエンジンを全バラして改造範囲を越えていないことを証明する必要があるが、H車は報道陣に写真を撮られないように部品を神経質に隠し回り、代表例として、鋳鉄スリーブがメッキシリンダに変更されているのでは?の噂話しが出ていた。 金にものを言わせて色々な部品が改造されている噂が立っていた。
  H車はSB時代に入り勝てなくなってしまった。 TT−F1クラスより改造範囲が少なくなったSBレギュレーションに対応出来なかったのか? 量産エンジン部品を丸々使っているカワサキ車が勝てる時代になって来た。
1993年にて ”TT−F1”時代は終わり、”SB”に移行する。
チームグリーン(サテライトチーム)カラーに塗り分けられた ”ZXR−7”。
部品メーカーのステッカーは張る場所により契約金が違ってくる。
”ZXR750R”の改造前の量産エンジン。
”ZXR7”は量産車に対して、上下ダブルのラジエータ、
空冷オイルクーラでエンジン冷却を強化している。
”ZXR7R”のカウリングを外したストリップ状態。 Frディススクブレーキは
カーボンディスクであり、余熱をしないとブレーキは効かない。
カウリングを外した状態の車体右側面。
マレーシア ”ジョホールサーキット”冬季走行テスト。
ジョホール・サーキットでのピット風景。 左側に日本チーム、
右側にオーストラリアチームがマシン整備を行っている。
サーキットを借り切っての走行テストは8耐が行われる
スズカサーキットを借り切って行うのがベストであるが、
スズカサーキットの貸切り料金は「60万円/1時間」で
あり、この貸切り料金は海外のサーキットを1日借りた
より高く、四輪メーカーの予約も入っているので丸1日を
借りることは出来ない。
左 ”ファンキー塚本”、右 ”タイガー宗和”の
日本人契約ライダー。
写真が少ないのでネットから適当に探して来たが、どこのサーキットの走行か判らない。
タイチームのチャンピオンである ”ナット”(右側)さん。
ドーソンチームのピット風景。
ヨーロッパからサイドカーチームも走行テストに来ていた。
カウリング付のサイドカーの走行を見るのは
初めてで見入ってしまった。
”シンエツ”によるウェルカムパーティが開かれた。
3年契約だったと記憶しているが、信越化学工業がKRTのメインスポンサーに
なってくれて、壮大な ”ウェカムパーティ”を開いてくれたと思う。
主要メンバー席。
オーストラリア人ライダーである ”マイケル・ドーソン”を
先頭にカワサキ主要メンバーの入場。
美女に囲まれて緊張気味のチーフメカニック。
タイのロードレースライダーである ”チャオ・キッチャン”は
タイでヤクザに匹敵する権力を持っているらしい。